先日、明治天皇の子孫の竹田恒秦さんの動画をインスタで見つけて貼ってみようと思いましたが上手く貼れずに、内容だけ説明しますと。
歴史的偉人と犯罪者が全くの同姓同名であったことへの憤りを吐露する内容でした。
江戸時代、四柱推命(当時は淵海子平という名でしたが)は幕府の政策で封印されていた時代がありました、その理由は家康自身が運命運勢の恐ろしさを嫌というほどに理解していたからだと言われています。
戦国時代末期に生きた家康は同じ武士でりライバルの信長に従っていて、やっと信長も光秀に殺されて「次は俺に違いが無い」と思ってた家康は、自身の運の悪さを思い知るには十分すぎるくらいに、チョンボを仕出かしています。
本能寺の変のその日は、うっかりと大阪に側近の共だけで来ていて大阪から江戸まで命辛々に逃げ帰っていたからです。家康は相当な阿呆です、何故なら危機管理が全くできてないですし。
大阪近辺で右往左往してる間に、中国大返ししてきた秀吉が信長の仇をとって一躍後継者に上り詰めて、最後は天下人になりました。
家康にしてみれば、同年代のライバル以下の百姓の子供に秀吉が死ぬまで頭が上がらなかった事は、運命や運勢の力には絶対に勝てないと肌身で感じたからでしょう。
現実に、四柱推命を扱ってる私も日々感じるのは「人は自分の命式通りにしか生きられない」という事です。
でも、全く同じ日に生まれていても就く職業や躾けの如何で、運勢は大きく開花するのも事実ですが、殆どの人は成功する運命を持っていれば其れなりに幸福な人生ですが、成功のチャンスも無い人は、自分自身でも生きてる意味すら見いだせない人生でそのまま年月が過ぎて終わってしまいます。
話を戻して、そんな家康は天下を手にした時に打ち出した政策は「淵海子平禁止」という法度です、要するに徳川家以外から天下を取るような運命の人間が表れても困るし、ましてや百姓は一か八かで捨て身で怖いもの知らずの勢いで幕府を倒されても嫌だからです。
そんな江戸時代にも占いは大衆から支持されてましたので、淵海子平(のちの四柱推命)の代用として、姓名判断も大いい流行ったようです。
でも、このインスタでの竹田さんの言われるように、歴史的偉人と全く同じ同姓聡明の人が人殺しだったとかだと、説明がつかないのも事実です。
(姓名判断の先生方ごめんなさい<m(__)m>)
先程も書きましたが、四柱推命でも全く同じ年月日時刻に生まれた同性の人ならば、同じことしか判断できないのは仕方のない事です。
美人イケメンの集う芸能界のタレントや役者さんと同じ日に生まれてもどうして自分は人気者になれないのか・・・と思う人もいますでしょうが、それは容姿が違うからです。
容姿は運勢ではなく、祖先や両親から受け継いだ運命が違うからです。
四柱推命では運勢は努力の有無で改善も悪化もしますが、運命は人知の及ぶものではないことも理解して(=諦めて)いただけたらと思います。
ああ無情・・・。
少しでも子々孫々の為に今日も一日頑張って働いて精進いたします。